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2010.08.15

なんで”終戦記念日”?、”終戦の日”ではないのか

私の過剰反応、屁理屈かもしれないが、“終戦記念日"と聞くと、
いつも嫌な気がする。
私は、”敗戦の日"“終戦の日"で良いと思うが。
"記念日"と言う、語感、印象から受けるのは、私はその日が、
晴れがましく、いついつまでも覚えている日"
と言う感じに受け
止められるのだが、“終戦””敗戦"から受ける印象は、負の感
情で満ち溢れている。
そこには、未来への希望なんてありはしない。
ただただ、戦争に負けた、戦争が終わった。それしかない。

記念日を辞書で引いてみると、

>祝日 祭日 祝祭日 縁日 旗日(はたび) ▽誕生日 生誕
祭 生誕○年記念

概して、おめでたい日に使っていると思うのだ。
だとしたら、原爆記念日は、原爆の日で良いし、終戦記念日は
終戦の日、敗戦の日
で充分意味が伝わると思うのだ。
私としたら、あんな悲惨な日を、"記念日"として美化しない方が
良いと思うのだが。

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そして、”記念日”とするほどの、年月がたってしまったのか。
私の根性がねじ曲がっているのかもしれないが、”記念日”と聞
くといつも、いやな気がする。

ところで小泉進ジュニアは、もちろん靖国参拝をしたそうだが、や
っぱり、あの元首相の息子らしい。。。。
小泉純一郎が、靖国参拝した結果、中韓との仲が相当冷え切っ
たと言うのは、まぎれもない事実だ。
しかし、あの人もこの人も、私が傲慢だと感じる人は、ほとんど何
の疑いもなく参拝しているように思う。
戦後65年たっても、まだ行くべきだとか、いや行ってはいけない
とか、いまだに立場がはっきりしない。
日本政府は、総括してきたのだろうか。
いつまでたっても、こんな宙ぶらりんなところで議論をしている、
日本国、日本人は不幸だ。

靖国参拝については、いろんな人のいろんな意見があると思う
が、それでも、なんで天皇陛下が靖国参拝をやめられたのか、
そして未だに靖国参拝を実行しないのか、そこのところを考えた
ら、おのずと答えが出ると思うが。。。。。
"靖国”に正当性があるとしたら,、なんで天皇陛下が参拝しない
のだろうか。


☆ーー☆ーーー☆ーー皆様にお願いーー☆ーーー☆ーー☆


             
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コメント

 小泉進次郎が父親と同じく靖国神社に参拝するのであればバラクオバマ自由民主党総裁、ジョージWブッシュみんなの党前代表も参拝したらどうか、来年にでも。これで右翼の正体が目で見てわかるであろう。

投稿: ヒロくん | 2010.08.15 19時10分

まるこ姫さん  こんばんは
私の叔父も戦死していますので、今日という日は複雑な気持ちです。やはり、終戦記念日というのは抵抗があります。そこに、230万人もの日本人の命を奪った戦争ですから、2度と過ちは起こさないという気持ちをあらわさなければいけない日です。其れが終戦(敗戦)の日です。難しい事ですが、歴史を歪曲化しようとする政治家がいることは事実です。又戦前に同じような考えを持った政治家、軍人が起こした戦争だという事もも事実です。日本の繁栄を信じて国の為戦死して逝った230万英霊に対して謹んで合掌したいと思います。  合掌

投稿: ヤス | 2010.08.15 19時26分

★ーーこんばんは、ヒロくん

小泉ジュニアが参拝するわけですから、もちろん、自民党総裁も、みんなの党代表も参拝をするのではありませんか?
だいたいが、右寄りと言われている人たちはほとんどしていますから。
右、左と言う観点から見たら、参拝するかどうかで、分るかもしれませんね。


★ーーこんばんは、ヤスさん

私は、終戦の日を、なにか記念日扱いにして欲しくはないんです。
現実を見て、敗戦、終戦、65年前の戦争がどれだけ悲惨だったのか、どの時代になっても伝えるためには、記念日的な安易なネーミングはとても抵抗があるのです。
おっしゃるように、二度とこんな悲惨な目に遭わない、合わせない日ですね。

>歴史を歪曲化しようとする政治家がいることは事実です。

どうも、生き証人が亡くなりつつある今、歴史を捻じ曲げようとしている人たちがテレビでも大きな声を出しつつあります。
沖縄での集団自決も、軍の関与はなかったと、最近、声高に言う評論家が多いです。
今日、沖縄で戦争を体験した90才近いご婦人が話しておられましたが、軍人は一般人にはとても冷たかったと。
集団自決に軍の関与があったと言うのは、さもありなんと思いました。

今、日本が反映しているのも、国のために戦った私たちの先祖があったからこそなんですね。
今日だけではなく、これからも終戦、敗戦の意味をよく考えるたいですね。
考え続けることで戦争廃絶、核廃絶に繋がるのだと思います。

投稿: まるこ姫 | 2010.08.15 20時42分

こんばんわ。
今日は「終戦記念日」でしたね。
「終戦記念日」と言えば、「靖国神社」。
「靖国神社」と言えば、「小泉元総理」が参拝した関連が思い付きますね。
思えば、この報道は「韓国と中国側」の市民が、怒りの抗議をしたのを覚えています。
あっそうそう、そう言えば、あの「自民総裁・谷垣代表」が、「靖国神社参拝」そしたのを、ラジオのニュースで聞きました。
改めて考えてみると、相変わらず「自民党の面々たちは、懲りずにさんぱいするものだなぁ~!!」と思いました。
これで、「韓国・中国側」の市民に、怒りの抗議が無ければいいですけどね。

投稿: H.K | 2010.08.15 22時15分

こんばんは、H・Kさん

ほとんどの自民党議員は靖国参拝をするのでは、ありませんか?
三原じゅん子もしたそうです。
参拝をするかどうかで、だいたいその議員の立ち位置が分かりそうですね。
もちろん、小泉元首相は参拝派でした。

投稿: まるこ姫 | 2010.08.16 21時58分

こんばんは~、まるこ姫さん、皆さん

わたしは、バカアホ芸能人などからこの時期になるとよく出る「戦争が悪い」という言葉を聞くたびに虫唾が走ります。この言葉からは、まるで戦争が勝手に始まるような印象を受けるからです。そんなバカな話はない。戦争は、必ず始める「人」がいるんです。日本では、アジア・大平洋戦争(わたしは先の戦争についてはこの名前が一番適当と考えてます)を始めた連中が、A級戦犯とされながらも靖国神社に合祀されています。彼らが日本を“守った”、「英霊」だというんでしょうか?お国のためという当時の思想のもと、命を落とした一般の兵隊さんたち。そのような方たちの魂、または真の「英霊」と、A級戦犯などとが一緒に祀られてるなんて、そんなフザけた話はないです。

そしてわたしは、「戦争を知らない世代」という言葉も聞くたびに虫唾が走ります。「戦争」は、大昔にあったこと、あるいはどこか遠い国で起こっていることという他人事感覚。確かに日本はアジア・大平洋戦争後は65年間直接は戦争状態になってないですが、間接的にはどんだけ世界の戦争に加担してきたか!アジア・大平洋戦争後ホントに間もない朝鮮戦争でも日本は米軍の完全に後方基地でしたし、それどころかその特需が戦後復興のきっかけにもなりました。そしてベトナム戦争でも佐藤A作吸血鬼によって、同様に完全に米軍の後方基地となり、その経済効果が高度成長に大きく影響したのも事実ですよね。その後も常戦国アメリカとの同盟により、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争…枚挙にいとまがありません。小泉ペテン師は、アフガン人やイラク人にとっては紛れもない「A級戦犯」だと思います。こういう佐藤A作吸血鬼や小泉ペテン師を選んだ日本人って、軽々しく「戦争を知らない」なんて言えるもんなんでしょうか?

問題は、人々の「共感度」だと思います。戦争を他人事ととらえずに、我が身に降りかかることとして、今現在も戦禍を受けている人にどれだけ共感できるか、国や民族というくくりでなく「人類」として自身をとらえることが出来るか、だと思います。共感できない人は、「戦争を知らない」んではなく、「知ろうとしない」んです。んで、そういう人たちが、また戦争を起こすんです。戦争なんて、それこそ常に世界中で起きてるんだから、知ろうと思えばいくらでも知れる。なのに、知ろうとしない。そういう人々にはこの「共感度」というものが欠けている、以外の何物でもないですよ。でも、「戦争を知ろうとしない世代」を作ってきたのは、やっぱり自民党政府による戦後教育にこそ大きな責任があったと思いますね。何と言っても近代史を教えない。自民党の中のタカ派の御歴々は、いつかまた戦争を起こして、今度こそは勝つぞ!と思ってるんでしょうね。昨日のTVタックルの安倍シンゾーを見ても、そう思いました。「戦争を知ろうとしてこなかった」人たちには、お願いだから少しだけでも「戦争とは何か」ということを知ってほしい。そしてなぜ戦争が起こるか(どういう人が戦争を起こすか)、どうしたらそれを防げるかを考えるようになってほしい。このように「考える」ことこそが、戦争の加害者から遠ざかる第一歩だと、わたしは信じるのです。

最後に、韓国や中国などからの謝罪要求に対して巷で聞こえる、「何で戦争当時生きていなかった、今の日本に生きるわたし達の多くが今更謝る必要があるのか、わたし達に当時の戦争責任なんてある訳ないし、加害者であるはずもない」などという考えに対して一言。わたしは、そのような人たちでさえ、当時の誤った考えを肯定(ネトウヨなんかはそうですね)した瞬間、紛れもない、れっきとした加害者になり得る、と考えます。そういう人たちが今もいるから、または増えているからこそ、そういう韓国や中国などからの謝罪要求がいつまでも無くならない、そう考えます。

投稿: ぷひゃひ | 2010.08.17 17時27分

まるこ姫さん、皆さん、こんばんは

8月15日を終戦記念日あるいは終戦の日と言います。
終戦という言葉を聞く度に、日本政府、日本国民の先の大戦に対する責任の無さを象徴していると感じざるを得ません。

1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効により、主権を回復する(連合国軍の統治が終わる)まで、ポツダム宣言を受諾調印した9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と言います。
8月15日は昭和天皇の玉音放送のあった日で、歴史上はそれほど大きな意味のない日です。
1957年に引揚者給付金等支給法で8月15日を終戦の基準とし、1967年の引揚者等に対する特別交付金の支給に関する法律で終戦日と呼び、1963年政府主催の全国戦没者追悼式、1983年に8月15日を戦歿者を追悼し平和を祈念する日と閣議決定し、現在に至っています。

戦争で近隣諸国に多大な戦争被害を与え、自国の国民にも未曽有の被害を与えたのに、終戦という第三者的で曖昧な言葉遣いに、無責任さの極地を感じます。
1942年のミッドウエー海戦以後、敗北に次ぐ敗北、最後の1年だけで9割もの戦争犠牲者を出し、兵隊は飢えなど、戦闘以外で死亡した人が圧倒的に多く、国民に命を投げ出させた日本政府の責任が終戦記念日という曖昧な言葉で有耶無耶にされています。
戦中も政府の無責任さが降伏を遅らせ、戦闘員のみならず、一般国民の多大な犠牲を招いたと思います。
この無責任さが、戦後も戦争総括が行われず、村山談話に至り、それでもなお、責任はなかったとする閣僚が発言するなど、韓国や中国が不信感を抱くのも分かる気がします。
この無責任さは自民党長期政権が引き継ぎ、今も多くの問題を山積させる体質になっています。

終戦記念日(戦歿者を追悼し平和を祈念する日)は、二度と戦争を起こさないためにも、戦争を忘れないため、非常に大事な日です。
終戦はおかしく、敗戦でも良いですが、やはり未来志向で、平和祈念日とすべきと思います。
それが何故国民の祝日としないのか不思議です。
戦争のこと、平和のことを考えるに丁度良い日です。
建国記念日(紀元節)、文化の日(明治節)、勤労感謝の日(新嘗祭)など、国民とは無関係な日よりも、平和祈念日は絶対必要だと思います。

本来なら、終戦記念日は、終戦が確定した9月2日とすべきで、GHQがいる間は敗戦記念日、降伏記念日としていました。
それが主権を回復し、時間が経つと、天皇の玉音放送を大事にし、8月15日に変わってしまいました。
敗戦、降伏という言葉が政府は嫌だったということなんだろうと思います。
それと、憲法によって国民主権になっていても、天皇制を維持したいという思惑があったように思います。
それは国民の祝日が天皇家由来のものが大半を占めることからも言えます。
テレビで、玉音放送を放送していましたが、天皇自身の戦争責任は言われていないようでした。
誰も自ら、戦争責任をとらず、総括もせず、戦前のことを引き継ごうとしているように思います。
戦前のことを引き継ぎたいため、戦争の責任や総括をしたくなかったようにも思えます。

投稿: 愛てんぐ | 2010.08.17 18時18分

★ーーこんにちは、ぷひゃひさん

そうですね。
"戦争が悪い"と言う言葉は、責任転嫁の何物でもありませんね。
人が、戦争を始めて、人を殺して、最後は弱いものへしわ寄せがくるわけです。
靖国参拝も、自民党議員はおおむね賛成で、参拝も当然と考えていると思いますが、やはり、立ち位置が分かりますね。
私も、A級戦犯と、情報弱者が所以でしゃにむに戦地に行かせられた人たちとは分ける必要があると思います。
戦争責任者とは、一線を画す。それは当然でしょう。
それが不思議な事に自民党議員たちには通じないんですね。
どういう神経をしているのだろうと、首をひねります。

戦争によって特需はありましたよね。
ベトナム戦争、朝鮮戦争、で日本は大いに潤いました。

>湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争…

でも見方を変えれば、日本は加担しているわけですから、その地の人達にとっては、恨みの対象になっているのかもしれませんね。
私たちは、知らず知らずのうちに、加担しているわけです。戦争を知らないなどと、簡単に言うには余りにも無責任ですね。

しかし、私たち日本人は無責任体質ですからね。
外国で飛行機事故が起きた場合、必ず"日本人はいませんでした"と報道されます。
日本人がいたら大騒動、いなかったら無関心。
そういった国民気質なんですよ。
共感度などは、日本人が渦中にいるかいないか、でずいぶん変わると思います。

>今現在も戦禍を受けている人にどれだけ共感できるか、国や民族というくくりでなく「人類」として自身をとらえることが出来るか

そこまで考える人は、わずかだと思いますよ。
自分たち民族さえよけれの国民性なんですから。
中・韓に対する態度を見ていても、充分伺えます。

>やっぱり自民党政府による戦後教育にこそ大きな責任があったと思いますね。

私もそう思います。
他国の心中など何も考えない、そして戦争の語り部たちがどんどんいなくなりつつある今、歴史まで改ざんしようとしていると感じます。
今は、戦国時代の歴史ブームですが、本来なら近代史こそ教えるべき歴史でしょう?
責任を転嫁するつもりはありませんが、教えられてこなかった事で、本当の戦争の悲惨さも知らないのではないでしょうか。
だからこそ、他国への配慮もないと感じます。

私は、テレビタックルも見なくなりましたが。。。。(笑)
安倍氏が出てきたという事からも、内容が良くわかりますよ。
安倍氏は、おなかが痛くなった割には、最近偉そうに発言していますよね。
それで、三宅爺さんなども、称賛しているのではありませんか?
見えるようですよ。

>何で戦争当時生きていなかった、今の日本に生きるわたし達の多くが今更謝る必要があるのか、わたし達に当時の戦争責任なんてある訳ないし、加害者であるはずもない」

日本人は忘れやすい人種かもしれませんが、中・韓など東南アジアの人達は、永遠に忘れてくれませんからね。
本当は原爆を落とされたことに対して、永遠に抗議をしてもよいと私は思っていますが、アメリカの家来のようですよね。
私たちは、日本人のルーツとして、この先も贖罪の気持ちを忘れてはならないと思います。
先祖あってこその、私たちですから。
良いも悪いも、受け入れるしかないでしょうし。

★―ーこんにちは、愛てんぐさん

正確には、敗戦ですね。
終戦などと、耳触りのよい言葉を使うから、子孫が戦争に対して,、どんどん忘れて行ってしまうのですよね。

>ポツダム宣言を受諾調印した9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と言います。

8月15日ではなく、9月2日ですか?
天皇の放送のの声が当時の国民には強烈に印象にあるのでしょうね。
私的には、終戦記念日などと生易しい言葉は違和感があります。
しいて言えば、”祈念日”ですね。

>戦後も戦争総括が行われず、村山談話に至り、それでもなお、責任はなかったとする閣僚が発言するなど、韓国や中国が不信感を抱くのも分かる気がします。

自民党の閣僚たち、特に小泉首相はあまりに他国に対して配慮がなさすぎたと感じます。
東南アジア各国に対しての、無遠慮、不作法な発言はその国々の人達からすれば心を痛めるでしょうし。
不信感も抱くでしょうね。
しかも、すべて先送り体質ですからね。

>終戦が確定した9月2日とすべきで、GHQがいる間は敗戦記念日、降伏記念日としていました。

これで行けばよかったと思います。
敗戦であり、降伏したのですから。
終戦などと、耳触りのよい言葉に置き換えるから、私たちにあまり響いてこないのだと思います。
やはり、自民党政権にとっては、敗戦、降伏という文言はすべて無くしてしまいたいものなんでしょうが、日本の立場を美化しすぎだと感じます。

そして、天皇制の維持にもつながることなんでしょうか。
そういえば、”天皇はわが身はどうなってもよいから国民を第一に考えてくれ"と、アメリカに直訴したと言われていますよね。
天皇を美談に仕立て上げています。
そして、何事もなかったかのように、戦争責任は取らず、総括もせず、戦争の生き証人がいなくなったら、あの戦争も美化していくのでしょうか。
本当に無責任体質な国民性です。

投稿: まるこ姫 | 2010.08.19 17時21分

冷厳な事実
戦争は誰でも嫌いでしょう。併しそうでない人もいます。また戦争を始める理由を持つ人はいつでもいて、戦争は何時でも地球上のどこかで起こっています。戦争は人類の存在する限り決して無くなりません。

日本の近所にもそういう人や国があります。日本人が戦争はいやだといっても隙あらばと狙っている国があります。

情緒できに平和を愛好しても抑止力が無ければやられるだけです。

ご覧なさい。竹島は取られました。 北方四島も略とられたでしょう。尖閣島も危ない。その次は沖縄をとられます。

平和愛好の皆さんどうしますか。

投稿: 土屋能男 | 2012.07.20 09時38分

★ーーこんにちは、土屋能男さん

私の記事のタイトルは、”なんで”終戦記念日”?、”終戦の日”ではないのか”ですよ。
関係ないコメントで削除しようかと思っていましたが、

竹島も、北方領土も取られたと言うあなたのコメントには違和感があります。
竹島も、北方領土も、まだとられたわけではありません。
これは自民党時代からの懸案ですが、外務省が毅然たる態度を取らないから、取られたような見えるだけです。
武力では何も解決しません。
日本憲法を変えてまでの抑止力は、なんなんでしょうね。

投稿: まるこ姫 | 2012.07.20 15時50分

はじめまして。

私も「終戦記念日」と呼ぶのに違和感を覚える一人です。
まるこ姫さんとまったく同じ理由で、「記念日」の語感に抵抗があるのです。

「言葉にうるさい人」と思われているかもしれませんが、こういう感覚は大事にしたいと、短歌を始めて思っているところです。

投稿: メバル | 2013.08.14 06時59分

★ーーこんにちは、 メバル さん

日本の場合、ただの終戦ではなく敗戦でしかも無条件降伏を受け入れました。
その国が、“記念日”は違和感がありますね。
記念とすれば、戦争を美化したようにも受け取れますし、被害を受けたアジア諸国は良い気はしないと思いますがね。
小説を読んだり、俳句、短歌などをたしなめば、一つ一つのl語句に対して敏感にはなりますよ。
”言葉にうるさい”は、良い意味に捉える事もできます。
どんどん右傾化している今、言い続けなければいけないことはとても多いと感じます。

投稿: まるこ姫 | 2013.08.14 10時17分

記念日ではないという意見には賛成です。
しかしながら、靖国神社の存在自体を否定する意見には、賛成しかねます。
なぜなら、日本国憲法には、信教の自由という項目があり、それは守られなければならないのです。
確かに、政教分離という観点からすると、首相たちの行動は正しいものでないように思えます。
でも、それは、「首相として」参拝したことに問題があるのであって、「靖国に」参拝したことは、個人単位では、問題ないのではありませんか?
そこのところ、あなたはどうお考えですか?
無知な高校生なりの、精一杯の意見です。
もし良ければ、ご返答ください。

投稿: K | 2014.07.27 18時24分

★ーーこんばんは、Kさん

>それは、「首相として」参拝したことに問題があるのであって、「靖国に」参拝したことは、個人単位では、問題ないのではありませんか

権力を持っている人間は、その座にいる間はすべて批判の対象になるのですよ。
安倍首相は、個人でなら参拝してもよいと思っているのでしょうが、本人いわく最高責任者なんですから。個人は通用しませんわね。
もし参拝したければ、首相の座を降りてから、もしくは議員を辞めてから参拝していただきたい。
私は、超党派と称する議員の連中の靖国参拝もするべきではないと思っています。
靖国を美化しておられる人たちがたくさんおられますが、赤紙一枚で戦争に駆り出され死んでいった人たちと、日本を無謀な戦争へと突き進めて戦犯として処刑された人たちが、合祀されているのが靖国です。
分祀するなら話は別ですが、そんな神社に公人として参拝するのは、どうしても違和感がありますよ。

投稿: まるこ姫 | 2014.07.27 19時00分

ならば、戦場で散った方々の為に、首相が参拝するのはおかしなことではないのでは?
それは、それぞれ個人のとらえ方次第ではないでしょうか?

投稿: K | 2014.07.29 13時33分

★ーーこんにちは、Kさん

理解力がありませんね。
私は日本国を戦争に導いた戦犯と、行きたくもないのに赤紙一枚で戦場に行かされた国民と、合祀されている事が問題だとだと言っているのですよ。
首相が、戦犯が祭られている靖国に参拝すると言う事は
、戦争を肯定すると取られかねません。
理解できますか?
赤紙一枚で戦場に行かされた一般国民ばかりだったら、大いに参拝していただきたいですよ。
御霊を慰めていただきたいですよ。
首相が参拝しようが、閣僚が参拝しようが、だれも反対はしませんよ。
戦犯と同じ所に一般人が祭られている事は、大いに問題があると思いませんか?
ネットウヨさんには理解不可能ですかね。

投稿: まるこ姫 | 2014.07.29 15時57分

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